挨拶の心得
僕のいた中学は規律の厳しい学校だった。
"立ち止まって目を見てあいさつ"がモットーで地元の人からもあの中学校の生徒の挨拶は気持ちがいいと評判だったくらいだ。
その中でもとりわけ野球部は規律が厳しくその野球部に所属していた僕はかなり鍛えられた。
まず、先輩と顧問を見つけたらどの位置からでも立ち止まって挨拶をしなければいけない。
例え、オシッコが漏れそうでトイレにダッシュで向かっている最中でも先輩を見つけたら漏らしてでも挨拶をしなければいけない。
だから僕たちは普段から周りに注意し、先輩と顧問を見逃さないように必死だった。
もし、挨拶をせず先輩の横を通り過ぎてしまうと練習の時に部室に呼び出され
「お前、なめてんの?」と説教をされる。
だから僕たちはどんなに先輩が遠くにいようともシルエットを確認でき次第、大きい声で頭を下げた。
しかし、そんな僕らを他の生徒はクスクスと笑う。
ときには、あそこに先輩おるよ。なんて言われ、大声で挨拶する姿を横でニヤニヤしながら大変だねぇ〜なんてバカにしてくる。
これが思春期の僕には耐えられずいつも屈辱だった。
ある時、いつものように友達とぶらぶら歩いていると最近気になるあの子が話しかけてきた。僕が嬉しそうにその子と話していると横から友人が割り込んできて「おい!あれ先輩じゃない?」と言ってきた。
確かに遠くに先輩がいる。しかし、隣にはあの子がいる。僕は迷った。あの子の隣で恥をかくか…。先輩に怒られるか…。もしくは…。
昔やっていたオダギリジョーのライフカードのCMのように僕の目の前にはカードがある。
"叱咤" "恥辱" "道化"
「どうする?どうすんの俺?!どーすんのよ!!!」
僕は道化を選んだ。
先輩は遠くにいる。すなわち、大声を出してもあまり声は聞こえない。
僕は彼女に「別にバレないから挨拶するフリしとけばいいから」とスカして口パクで大声を出してるふりをして頭を下げた。
彼女は心配そうに「大丈夫なの?」と聞いてきたが僕は「余裕よ!」と笑ってみせた。
すると後ろから「おい。なめてんの?」と渡部篤郎風な感じで声をかけられた。
振り向くと顧問がいた。地獄だ。
遠くには先輩。隣には気になるあの子。そして後ろには学校イチ厳しい顧問がいたのだ。
僕は振り向きざまに小さい声で「すみません…」と呟いた。
すると「調子に乗るな」と光の速さでビンタが飛んできて僕のプライドをはたき落とした。